2011年11月5日土曜日

【エーゲ旅行記】 絶望

2011年10月5日 早朝4時

にわかにATMの周りに人が集まってきた。

慌ただしくしている俺に、どうしたどうした?と日本人ツアー客が集まっている。
事情を説明した。
「カードが吸い込まれて出てこなくなったんです。」
皆さん同情の顔をしてくれるも、打つ手はずも見あたらず静かに見ている。
中には数人の人たちが親切にアドバイスをくれる。

「あの窓口に聞いてみたら?」
「あそこに行ったらいい」
「うちの添乗員に尋ねたらいい。」
「代わりに呼んで来ようか?あなたはATMの前で待っている方がいい。」

HISの添乗員さんが遠くから、ワッシワッシ近寄ってくる。救いの神に見えた。
いわば旅のプロ、幾度も観光客のトラブルを解決して来たに違いない。
そうだ、それがプロなのだ。
一方、俺は単なるエーゲオタクであり、アブダビも旅行もど素人だ。

添乗員が近づいた。

あれ、えと、ええ??
さっきまで12時間俺の横に座っていた男性ではないかっ!



んんんん何という妙縁。
そうです。この旅は妙縁が常に付きまとう旅。
しかしながら座席にいる頃から知っていたけど
この男性はすっとんきょうなところがある。

結局、あまり助けてはくれなかった。
飛行機内で何回もトイレにいくたび、彼を席から立たせてしまったからか、
寝ている時の俺の鼻息がうるさかったからなのか、
何だか知らないけど、結構飛行機内でしゃべったのだけど、
彼は仕事でここに来てる。彼の仕事は、彼のお客を誘導することが最優先なのだ。
見知らぬ隣人を助けるために給料を貰っている訳ではない。
ましてやトイレの近い嫌な隣人には特に。
まさに悪い想像どおり進んだ。彼らはすぐに去った。
 
でも同じHISの女性添乗員さんが、見るに見かねたか、
去り際にいくらか入ったテレフォンカードと、現金20ディルハムを手渡してくれた。
この女性は何があっても帰国後にお礼をしなくてはいけない。
なぜならこの女性のくれたテレフォンカードが、この後に救いの一助になってくれたからだ。


この時点で朝5時。辺りに人だかりはたくさんあった。
みな賑やかで楽しそうに見えた。みなHappyに見えた。
俺以外は・・・・・・・・

今、スターバックスの3m側にいる。でもスタバの席には座れない。



20円でどこの国のスタバに入れるというのだろうか。
幸いにして弱波ではあるけれど、空港内に飛んでいる無料Wi-Fiに接続出来た。
これが厄介であり、ネットに繋がったり切れたりを繰り返す。
でも無いよりはマシ。何せ、唯一の接点。メール連絡だけが生命線になっていた。

回線はISDNかっ!このやろ 笑
進むを押しても、戻るを押しても、ページが開くのには10秒かかる。
間違ってボタンを押そうには、元に戻るまで20秒ロスする。
気持ちだけが焦る。いったいどこに連絡すべきか、いったい何をすべきか。
人生でこんなに頭が真っ白になったことは無かった。
とにかく、死ぬほどサバイバルという言葉が身に降りかかっていた。

旅行に慣れている人は、おまえが悪いんだよ、と一蹴するだろう。
そういう事だと自分でも分かっていた。だから余計に腹立たしかったし、泣けても来た。
しかしいくら頭を整理しようとも、孤独で誰とも繋がらず、所持金たった20円でアラブにいる。
唯一のクレカ(Bookingに絶対必要だし旅費が全部入ってる)が帰ってこない。

電話しても、ATM会社は飲み込んだカードは返却しないと言う。
そんなバカな話あるわけないだろ、鍵あけたら中にカード収まってるだろ、と
思うのはこれ、日本の常識であって世界の常識ではない。
外国に一歩踏み入れた瞬間に味わう、カルチャーギャップであった。
夜が明け、人だかりが増し、いろんな国から旅行者が俺のじっと待機してるポイントを過ぎてゆく。
日が出てくると気のせいではない、温度も上がってきた。じわじわと汗ばんでくる。
この間、4回ATM会社にしつこく電話をした。
何度も言われた。I am very sorry for that, but I have nothing I can do for you. ツーツーツー。
切られる訳だ。


絶望でいっぱい。何も出来ぬまま、この時点で事態は進展せぬまま空港で5時間過ごす。
エーゲ海へ行く事はこの際どうでも良くなっていた。帰国すら危ういと思っていた。
んーーこのトラブルをどうやったら楽しめるだろうか、と無理矢理ポジティブに思うようにした。
がしかし、15分おきにそのパッションは電池切れする。また絶望がやってくる。
この繰り返しが永遠に続くと思えた。負けるもんかこの野郎!自分を叱咤激励する。

アブダビの公衆電話は使い方が良く分からない。何度試してもエラーで通話不能になった。
何十回同じ操作をし続けた事だろうか。電話機に書いてあるとおりに操作をしているはず。
気がつけば電話ボックスで大声で怒鳴ってる自分がいた。周りの人は変なアジアンだなと思った事だろう。


そうだ!!飛行機内でアテンダントさんからもらったヘルプメルアドがあるじゃないか!!!
何という奇跡!思いついてすぐさまメールで必死ですがった。
弱波wi-fiはメール受信が前後し、届いたり届かなかったり、送れたり送れなかったりしていた。(後で判明)
それでも一筋の光明であるには違いない。必死でしがみついた。日本の相棒にも何度も連絡をした。

時差は怖い。あれこれ支障があった。
次に大使館に頼る事をひらめいた。すぐにサーチし電話をかける。この時のテレフォンカードは何よりも強い味方と感じた。
ただし残金わずか。いつ切れるか分からない。
大使館の女性職員の方は本当に親切だった。大使館の人がこんなに親身なんだと初めて体験した。
この方にコンタクトを取っていなければ、映画「ターミナル」のトムハンクスのように空港内で野宿していただろう。

大使館職員さんいわく、「返却しないとは妙ですね」
「ATM会社にカードを取り返せるかどうか連絡してみます。」
と言ってくださった。結果連絡は唯一の連絡手段の俺のメルアド宛になった。
(後日分かったけれど このメールは結局届いていない。Wi-Fiめ!)

「11時になっても連絡がなければ再度電話してください」、と言われていたので、
ただただひたすら祈りながら2時間をつぶすことにした。

不思議な物で、絶望的孤独感から若干解放され始めると、これまで全く視野に入っていなかった周りの喧噪や、人々の動き、周りの美しい景色が目に入ってきた。
じーーと空港職員の作業ぶりを観察したり、そうした労働者たちと、白衣をまとった上流階級の人たちを比較してみたり、あれこれ眺めていろんな事を感じ取った。
自分が今、初めてアラビア国家にいるんだ、と自覚が始まった。

階級社会。8割が外国からやってくる労働者だそうだ。
何人かと話した。みなフランクで気さくだった。このクソ暑い中で長袖長ズボンの作業着で。





さて、待ちに待った11時になった。メールは届いていなかったので、また大使館に電話をする。
さっきの親切な女性職員さんの声が本当に救いの神に思えた。
この後も書くけれど、大使館職員さんは全員親切。とにかく信じられないくらい親切。

「メールは送りましたが届いてませんでしたか?そうですか、それでしたら、私の主人が空港で働いております。彼をケニーさんのところに向かわせます。タクシーを手配したので大使館までまずいらしてくださいね」
電話口の先で微笑んでいる表情が見えた。よしこの方を頼ろう。これしかないんだ・・・

待ち合わせの場所に、ご主人が現れた。
勝手に想像していたのは空港勤務の労働者風の男性だったのだけど、
現れたご主人の風貌は、息を飲んでしまう身なりだった。

アラブ人の高貴で真っ白な衣服をまとっている。
しかもなんて言うか、ロバート・デ・ニーロ風のもの凄い貫禄。(そしてすごくいい匂い)
その彼に誘導されながら、広い広い空港内をタクシー乗り場まで談笑しながら歩く。
「災難だったね。でももう大丈夫だよ。」と、恰幅の良いそのご主人は励ましてくれた。
タクシー乗り場に着いて、ご主人はタクシー運転手に、パッとお金を渡してくれて、行き先は日本大使館だと伝えてくれていた。
ありったけのお礼を伝え、タクシーに乗り込んだ。

思えば、結局アブダビ空港に降りたってから、神経を張り詰めさせたまま8時間も空港内で徘徊した。
新千歳から飛び立って26時間が経過していたことになる。

見知らぬ国の広く大きな道路をタクシー運転手は涼しく飛ばす。
街路樹といえる椰子の木の数が半端ない。おそらく一生分の椰子の木を見た事であろう。強烈な日差しのせいだろう、葉は茶褐色に葉焼けしていた。こんな色はこれまで見たことがなかった。
タクシーの中で運転手にいろいろ尋ねた。
この旅の目的の一つに出来るだけいろんな人に話しかけるというミッションもあったからだ。運転手は英語が辿々しかったがそれでもアブダビの有名スポットや簡単な文化などの情報をゲット出来た。







30分ほどして日本大使館にたどり着いた。






車から降りた瞬間、この国は暑いんだと改めて思い出した。
あまりに暑くて、おえぇっとする熱気。
日差しが肌を刺す。グリル内で焼かれているかのような。
でもこの時期は大分涼しくなったそうだ。夏真っ盛りは50度だというのだから
それはもう想像すらしたくなかった。北国の男には今でも十分過ぎるほど暑すぎる。
何せ、出国の二日前に札幌では一足早く、初雪が降ったのだ。この体感気温差は尋常では無かった。


大使館の重厚な扉をくぐり、真っ白の大理石で出来た、威厳の感じる建物の中に入る。
一生のうち一般人が大使館を出入りする経験、いったい何度あるというのだろう。
そして誰が自分がお世話になると想像したであろう。
そんな風な事を思いながら、重々しい気分と、救いの高揚感と共に、
3つのセキュリティドアをくぐりオフィスへ入った。


つづく