2011年11月24日木曜日

サントリーニ・ミコノスのミニチュアお土産


パラポルティアニ教会のミニチュア



風車のミニチュアも多く見かけました。







サイズ小は4ユーロから、サイズ大で10ユーロくらいで買えます。









すごく細部までリアルに作られているんだけど、このシリーズ一つ50ユーロ以上。
高くて買う気を失う値段設定。20ユーロならバカ売れするんじゃないかな 笑


ここの店主、カリカリしてて感じが悪かったからきっと売れてないんだろう・・・



いっそのこと、近いうち紙粘土で自分で作ってみる予定







サイズは大きめで、中の電球が灯るタイプもあった。



木製のペリカン。



ロバのお土産もよく売られていた。








マグネットシリーズ





ポストカード



ミコノスやサントリーニで良く見かける名産品のスポンジ
地球の歩き方の紹介看板があるから、これに引かれて入店する日本人は多いそうです。








イコンや十字架




おまけ
勢い余ってショーウインドー内に座ってる猫ちゃん。



猫とともに暮らす生活って のんびりしてて やっぱり癒やされます。








2011年11月17日木曜日

白黒写真で見る昔のサントリーニ


サントリーニ空港で掲示されていた昔の写真。


フィラの昔の姿
観光地になる前だろうから粗野で
今のようなカラフルな町では無かっただろう。



ネアカメニが噴火した時





オールドポート



帆船が主流だった時代。


イメロビグリやフィロステファニの町がまだ整備される前だろう。


かつて存在していた教会だろうか。


これはKETI教会。今と形状が異なっている。船も蒸気船だろうか。


小高い丘の町はピルゴスかな?
 当時は農地ばかりだったのだろう。


階段形状を見ると、たぶんイアのアムーディ港?
現在夕日を見る名所が崖上にちらりと見える。
当時は要塞だったと聞きます。













2011年11月16日水曜日

ドバイのブルジュ・ハリーファ


30秒に1枚の間隔で2880枚の写真を撮影してるそうです。
世界一高い高層ビル、ドバイのブルジュ・ハリーファの24時間をご覧ください。








はぁ。。ドバイが恋しい。















2011年11月11日金曜日

【エーゲ旅行記】一ヶ月の旅もおしまい。帰国へ!

10月29日。1ヶ月というのも長いようであっという間だ、今日で旅もおしまい。
とうとう成田へ向けてアテネを後にする。

1泊だけでは勿体ないと思えるような素敵なリゾート地を後にし、
この日は11時半にシャトルバスでアテネ空港へ向かった。
すごく複雑な気分だった。ギリシャともとうとうお別れなんだね。
旅先で出会ったツアリストたちは、もうとっくの先に帰国していった。
そうして俺にもとうとう順番が回って来てしまったわけか。
この虚しくも寂しくもある独特な感情。旅行者みんなに公平にいつか訪れるもんだ。




EU旗が痛々しい。
果たしていつまでギリシャ国旗の横に掲げられてる事だろうか。







この日に知ったけど、ギリシャ人が怠慢というのは誤解だった。
このギリシャ本土のホテル従業員の対応はぴかいちだった。
というよりも普通なんだよね。普通なのにぴかいちに思えるのだから、
エーゲ海の接客がいかにヒドかった?と言うことになる。

訛のまったくない米語を話す従業員しかこのホテルにはいなかったし
言い回しもお客さんに話しかける正しい礼儀があった。
何てことの無いフレーズ、You're very welcome (with smile) なんて久しぶりに聞いた思いだった。
ギリシャ人への誤解が解けて自分的に嬉しく思えた日だった。

アテネ空港では出国審査でアラブ人団体が二つのゲートを独占し、もの凄く時間を食っており、いくつもの公的書類を提示させられていて何だか事情は良く分からないけど気の毒に思えた。
書類を提示しているのに、さらに他の書類を出せといわれ困って抗議するアラブ人たち。しかも一回通り抜けたのに、もう一回呼び戻されて審査のやり直しをさせられる人もいた。

そんなわけで、アラブ人以外の俺を含めたユーロ諸国外の人たちはもの凄く順番待ちさせられて、フライトに間に合うのか??というようにギリギリで慌てる人たちが続出していた。

並んでいる人たちの中に赤いパスポートを持っている家族連れがいた。
彼らも同様、フライトが間に合うのか!?とソワソワしており、声をかけてみた。
彼らはカタール経由で成田行きに乗る予定になっているそうで、聞けばもう10分も無いとのこと。
ものすごい同情するも俺にはどうすることも出来ず気の毒に思った。
お父さん、気弱そうで大人しく職員に問い合わせしている。「間に合いますか?」って。
本当に時間ギリギリになって、彼らは職員に誘導されるまま急いで駆け出していった。


無事にそうこうして、俺も間もなくアブダビ行きの飛行機に乗れたけど、左右の太っちょおじさんに挟まれてしまい、肘掛けの争奪戦で首から肩からコリコリの拷問のような4時間を過ごし、アブダビ空港に到着してからも乗り換え待機時間が1時間しか無く、本当に慌ただしい乗り換えだった。
またまた、両替の暇も無かった。

ただ、成田行きのゲートに近づくに連れ、あっちもこっちも日本人ばかりになり、この旅で初めて大量の日本人に囲まれ、何だかUAEにいるのにまるで日本にいるかのような錯覚がして身も心もホッとした。何せギリシャにいる間本当に独りぽっちだったから。

ゲートの待合い場で目を閉じると辺りに日本語が飛び交っている!
こんな当たり前な事でもすごく斬新に思えた。
恐らく他の皆も同じように感じていた事だろうと思った。
みな楽しそうな表情をしていて旅を楽しんでいた様子。
疲れ果てて無意識にしかめ面してた俺も、やばい!楽しそうなテンションに持ってかないと!と反省。
肘掛け争奪戦で相当テンション奪われていたのでね・・・
それにしても成田行きの飛行機は広くて快適だった。

しかし飛行機に乗ってびっくり。知っている顔がいたんだ。
一ヶ月前、成田からアブダビへ飛び乗った飛行機で、隣席に座っていたHIS職員さんが乗ってた!
何だか一人で大笑いしてしまった。しかし妙縁が続く旅だなぁ。最後の最後のオチがこれかい!
彼は今日もツアー客をああしてリードしているんだね。
すっとんきょうな人だけど、頑張ってるわ、えらい!なんて思いながら。
アブダビでの絶望状態の俺を無視して行ってしまった彼だから、俺としてはあまり好意は持てない。
内心、「あんな事があったのにあの後一ヶ月も旅を達成出来たんだからな、すごいだろー笑」と心の中で威勢を張ってみた^^;

ところで残念ながらYちゃんのフライトでは無かった。すごく期待していたけど映画のようには終わらせてくれなかったようだ。

にしても、相変わらず美人さんで揃ってる、エティハド航空。
Yちゃんは先日、北京からメールをくれた。今頃どこにいるのかなぁ?とぼんやり思う。
S君と一緒に仲良くこのアブダビにいるといいんだけどな。

行きと違ってこの飛行機では何も奇跡的なおもしろ事は起こらなかった。当然、CAさんから個人的に食事に誘われる事も。
ていうか何も起こらない方がごく普通なんだよね 笑
前回が何から何まで異常だったわけだ。まるでジェットコースタームービーのような脚本だった訳だから。そう思えば何だか可笑しくもあり寂しくもあった。

ただ前回と変わらなかったのは、水のお代わりを異常にするから
毎度、3杯お渡ししましょうか?とCAさんに覚えられてしまった。
「やけに飲むなこの人・・・」と思われた事でしょう。

仕方ない。アブダビでの通貨ディルハムを持ってないから、乗り継ぎ空港で何も飲料を買えずに喉カラカラで死にそうだったのだ。
成田までの10時間、なぜかお尻に血豆が出来るほど変な姿勢で何とか過ごし無事帰国する事が出来た。
腕時計を日本時間に戻した時が、やっと旅が終わったんだなって感じた瞬間だった。

成田空港に着き、感無量の思いでロビーを眺めた。思い返せば一月前の出国時ではアテネ空港ストライキのせいで絶望的に同じ景色を眺めたものだったな。

空港の外でそよ風に当たり、空気感がまるで違う事に気づく。
これまで日々感じてた自己責任的なピリピリ感が全く無く、この場で野宿しても絶対死なないだろうなっていうくらい、ゆったりした安堵感があった。

また、旅行という非日常がこの頃すっかり日常になっていて、帰国後の日常と同時に存在する妙な感じがあり、とても心地が良かった。




旅行記はこれで最後です。


長々と乱文でしたが、自分用の日記の意図だったり、旅先からの投稿だったので見直す時間は割愛、その分現地での観光時間に充てました。
にも関わらず、読んでくれた方どうもありがとうございました!
旅の雰囲気をちょっぴりでも共有して頂けたら嬉しく思います。


旅は素晴らしい。日々驚きと失敗の連続。
黙っていたら何も始まらない。自分が動けば世界観が変わる!
あなたの常識は世界の非常識かもしれない、さぁ今すぐ旅に出よう!^^



おしまい


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